世界サッカーユニフォームの移り変わり(2000年~2005年)
サッカー代表チームのユニフォームのモデルチェンジは、
おおよそ2年ごとに行われているという事は、前回お話しました。
今回は、2000年から2005年頃までのユニフォームのシェアや傾向などを見ていきます。
ユーロ2000オランダ・ベルギー2001年
ユーロ出場は16ヶ国、ユニフォームの各メーカーのシェアは以下のとおりです。
アディダス(adidas):8チーム
ナイキ(NIKE):8チーム
アンブロ(UMBRO):2チーム
プーマ(PUMA):1チーム
カッパ(Kappa):1チーム
ヒュンメル(hummel):1チーム
アディダス(adidas)が8チームと、やはりしっかりとシェアを確保していますね。
しかし、その裏側には他ブランドをシェアしている有力な国が、
出場を逃したという背景があります。
ですから、アディダス(adidas)としては手を広げて
楽観できるというものでは、なかったようです。
この年のユーロでのユニフォームの傾向ですが、
アディダス(adidas)は、襟付きであったのに対し、
他ブランドは、Vネックを採用していました。
日韓W杯2002年~2003年
W杯(ワールドカップ)に出場は32ヶ国、各メーカーのシェアは、
アディダス(adidas):10チーム
ナイキ(NIKE):8チーム
プーマ(PUMA):4チーム
アンブロ(UMBRO):2チーム
カッパ(Kappa):1チーム
ヒュンメル(hummel):1チーム
Joma:1チーム
marathon:1チーム
atletica:1チーム
TENFIELD:1チーム
uhlsport:1チーム
Le coq:1チーム
アディダス(adidas)、ナイキ(NIKE)、プーマ(PUMA)の3大ブランドといわれている
メーカーのシェアが高まった一方、アンブロ(UMBRO)などの伝統メーカーが、
衰退したという感じですね。
ユニフォームの傾向としては、賛否両輪を呼んだ、
ナイキ(NIKE)のナショナルカラーの蛍光色への移行、韓国とナイジェリアが採用。
そのため、ナイジェリアは大会中に胸ゼッケンの色を変更する事となりました。
アフリカネーションズカップで、カメルーンの代表にノースリーブモデルを
採用し話題となったプーマ(PUMA)ですが、日韓W杯では規定によって
袖がつけられることとなっています。
どのメーカーも、新たなデザインをと工夫を凝らしているようですが、
その陰には、色々と苦労もあるようですね。
ユーロ04ポルトガル大会2004年~2005年
この年のユーロ出場は16ヶ国、各メーカーのシェアは以下のとおりです。
アディダス(adidas):5チーム
ナイキ(NIKE):4チーム
プーマ(PUMA):4チーム
アンブロ(UMBRO):2チーム
ヒュンメル(hummel):1チーム
やはり3大メーカーは強いですね。三つ巴とでも言いましょうか。
この年のユニフォームの傾向ですが、シンプルなデザインへの反動が
少しずつ出始めてきたという感じですね。
この当時、色々と言われ物議を醸し出したナイキ(NIKE)の丸囲みゼッケンは、
まさしくこの大会ですね。
こうして改めてユニフォームのシェアなどを見てみると、
年毎に、デザインは各メーカー当たり前のように変化してきますが、
シェアについては、それほど大ききな動きを見せるということはないようですね。
3大メーカーと言われているのですから、それは当たり前ですかね。
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